今でも覚えています。
ある人に「職人」になりたいと言いました。
職人は毎日同じ仕事をする人。
職人は毎日同じ仕事を出来る人。
それを楽しいと思えるのか。
サラリーマンの方が楽だし給料も高いかもしれないよ。
ハッとしました。
自分が憧れる職人は毎日同じ仕事をするんだと。
そんな職人って本当に楽しいのかなと。
そう思うと覚悟はやっぱり必要なんだと悟ったのを、はっきりと覚えています。
僕がインソールをつくるようになったのは、義肢装具会社で働くようになってから。
ずっとサッカーや外遊びばかりでプラモデルもつくったことがありませんでした。
さらに私は「超」がつくほどの不器用です。
今でもインソールのそういった作業以外は何も出来ないでしょう。
手で何かを作ることがなかった私にとって物をつくることはとても難しく感じました。
さらにオーダーメイドで作るインソールはひとつとして同じ物はありません。
経験の皆無な自分にとっては苦難の連続でした。
スポーツでなら簡単に勝てる様な人にも追いつけない。
自分の思い通りに手が動かない。
ちょっとのことが形にならない。
やっと作れたと思っても、しょぼい出来栄え。
インソールの機能云々の以前の問題でした。
その期間は歯痒く、とてもストレスが溜まりました。
その期間を乗り越えて、私は今も自分の手で製品を作っています。
私は昔からお金持ちになることに、何らかの抵抗感を持っていました。
お金持ちになると、何かを失ってしまう恐怖心もありました。
お金よりも大事なものがある、あって欲しいと思っています。
だから私はお金のために働きたくないと、子供の頃から何となく思っていました。
私は自分の作るもので喜んで欲しい、必要とされたい、そういった承認欲求が大きいのでしょう。
そして自分が納得した物を提供したい。
その想いに正直になると、どうしてもオーダーメイドの製品になってしまう。
足型をとって、製作して、調整して、納品する。
この方法しか、お客様と自分の両方が納得できる方法を思いつかない。
だから自分の目の届く範囲でしか動けない。
こんな非効率なことをしていたらお金持ちにはなれないでしょう。
でも私の精神が侵されることは少ないはずです。
超不器用な私が今でも自分で物を作っている理由は、
自分の納得していない製品を提供することの方が、自分の人生にとってストレスとなるからなのかもしれません。
結果、
私は毎日インソールを作っています。
毎日インソールを作っているから「職人」といってもらえることもあります。
私の憧れていた「職人」。
でも私は毎日同じ仕事をしていると思っていません。
周りから見れば同じ仕事ですが、常に自分が思う製品、お客さんが喜んでくれる製品がどうやったら提供できるかを考えているから。
例え手の動きが同じでも、頭の中が違うから。
だから同じ仕事をしたことはありません。
さらに足型や体の癖は人それぞれ。
インソールを1つ作るにしても、お客様の顔を思い浮かべながら製作するので、飽きることはない。
「職人」とはこういうものなのかと。
楽しいやないかい。
次は職人から「匠」へと(笑)
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